うどん巡り

2002年9月24日
今日は、弟とちょっと早起きして『うどん巡り』に行ってきました。

最近、うどんは東京のメディアにも取り上げられていますね。(先週末の王様のブランチにも出てた)

むしろ煽られていますねぇ・・・ま、良くも悪くもって感じですが。


個人的には
このブームは早く去って欲しいですね、ずばり。

大半の飲食店がそうであるように
増えていく客に対して、『味』は格段に落ちていってますからね・・・


と言うか
うどん屋のほとんどは、地域に密着したものでありさながらその地域のコミュニケーションの場であった訳です、本来的には。


近所の人や外回りの営業の人や工事現場のおっちゃんが昼時に来て、まったりうどんを食べて帰っていく。食べ終わって「ごっそさん」と言って器を返していく。で、おばちゃんが「ありがと」と返す。。。それが、元来のうどん『屋』であったはずなんですね。


誰も彼もが
「ここのうどんのダシは、なかなか」とか
「コシがあっていいじゃないか!」とか
そんな批評めいた食べ方をしている現状は、全くズレたものであるし、決していい事じゃないと思うんだよね。


そこには
おそらく
「味見してやろう!」て気はあっても
「味わおう」て気はないだろうから。


ただ、
作り手として自分が作ったうどんを遠路はるばる食べに来てもらえることは、きっと嬉しいことであるだろうし、自分の味が「大衆」メデイアに取り上げられ広まっていくのは決して悪い気がするものではないとは思うけれど。それに現実的なこととしてがっぽり稼げているだろうし(笑)


ただ、
ここに書いてきたことを一言で表す言葉があって、
それは


『うどん巡礼』


て言葉なんですね。
この言葉は、ホントに上手く言い当てていますね、うどんの「本質」を。


うどんを食べて周ること自体は、否定しないし別に悪い事じゃないと思うんだよね。

美味いものを求めるってのは、人間の本能的な欲求だと思うから。


ただ、
『巡礼』て感じでは、あって欲しいですね。

地域に密着し、育ってきた「お寺」を参拝するかの如く、地域に点在する「うどん屋」を巡って行く。
そう言った気分なり、気持ちはどこかに必要なんじゃないかな?と思うわけです。


それは
メディアが煽るような
『グルメツアー』でなく

個人の気持ちがから生じる
『うどん屋巡り』であって欲しいわけです。


そう言った気持ちがどこかにあれば

「安い・早い・旨い」

と言ったどこかでよく聞く、どうでもいい評価基準から解放されるんじゃないかな?と思うわけです。

それは
ビジネスとして『食』を捉えた視点であって
文化や風習的な側面から『食』を捉えた視点じゃないと思うんですよね、決して。


ただ、
結局のところ
いつまで経っても趣があり、整然としているお寺が多くの人を集めるように
うどん屋も、いつまでも変わらぬうどん屋としての「精神」を忘れなければ、残っていくんでしょうね、おそらく。


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